シングル作品のカップリング曲が軽視されすぎ問題

UNISON SQUARE GARDENってMADISON SQUARE GARDENから取ってるよね、たぶん。

久しぶりにUNISON SQUARE GARDENを聴いている。
僕はUNISON SQUARE GARDENの2008~2010くらいの曲が好き。
アルバムで言うと「流星前夜」から「JET CO.」まで。
最近の曲も聴いてるけど、このあたりが一番思い入れが強い。
高校生の時に「流星前夜」の「フルカラープログラム」を聴いて衝撃を受けたのを覚えている。
あとは「シングルのカップリングも大切にする」バンドだなっていう印象を受けている。

シングルCDのカップリング(いわゆる"B面")をあまり聴かない人というのは、結構多いのではないだろうか。
BUMP OF CHICKENが「カップリングが思ったよりも聴かれないからカップリング集アルバムを出した」って言うように、
刺身の上のタンポポ的な扱いにしてしまう人は結構多いのだろうと思う。
BUMPがライブで「真っ赤な空を見ただろうか」を演奏した後に、
「あの曲はいつ発売されるんですか?」とファンに問われたというエピソードもある。
(「涙のふるさと」のカップリングで、当時すでに発売したあとだった)

UNISON SQUARE GARDENはライブでカップリングの曲を沢山演奏するし、
「お前らカップリングもちゃんと聴けよ!」ってBa.田淵さんが思い切り発信していた記憶がある。
作り手としては、全力で作成した曲を作品として世に出しているのだろう。
その点で聴き手と作り手の間にギャップが生じているな、と僕は常々感じている。

音楽の宣伝文句の1つに「捨て曲ナシ!」という言葉があるが、僕はこの「捨て曲」という単語に違和感を感じずにはいられない。
作り手は「この曲は捨て曲扱いで収録しよう」なんて気持ちで作っていないだろう。
宣伝する側がその単語を使ってしまっていいのだろうか。
それを作り手が聞いたら、きっと悲しむぞ。
「捨て曲ナシ」って、「私は普段『これは捨て曲だな、この曲だけ聴いとけばいいだろ』と選別作業のように曲を聴いてます」って宣言しているみたいじゃないか?
そう聴くのは個人の自由だけど、なんか悲しくない?

聴き手としては、曲の気に入る・気に入らないはあるだろう。それは聴き手に与えられている自由だ。
でも、それを「捨て曲」って単語に落とし込むのヤバくない?
すごく悲しい単語だと思うよ、「捨て曲」って。

同様に、カップリングをシングル曲のおまけだと思う人もいる。
オンラインで音楽を1曲単位で購入できるようになってからは、さらにその考えが加速する人もいるんじゃないだろうか。
もちろん、カップリングにだって気に入る・気に入らないはあるだろう。
でも、「カップリングだし真面目に聴いとかなくていいだろ、どうせ大した曲じゃない」みたいに考えてるんだったら、
それはやめたほうがいいんじゃないかな。
カップリング曲だっていい曲は沢山あるぞ。
まずはUNISON SQUARE GARDENの「ガリレオのショーケース」を聴こう。